LTは5分だからこそ面白い

「そろそろ5分経ちそうだけど、デモまで始めちゃって大丈夫なのか…?」

ハラハラしながら息を飲む聴衆。デモを完走して発表を終えたら大拍手でガッツポーズ。間に合わず、無情にも銅鑼が打ち鳴らされて発表が中断になり、名残惜しそうに壇上を去る発表者にもナイストライの拍手が贈られる。Lightning Talk (LT) とはそういうものだ。

切られてしまった発表に対して聴衆も「続きを見たかったのにー」と思い、その後の懇親会などで話しかけて答え合わせするのもLTの醍醐味だ。

LTは5分

LTが5分なのは間違いない。それはコミュニティから生まれてきた、言ってしまえばそういうルールのゲーム名なのだから。だからLTを企画するならば5分にするのが筋だし、10分にしてしまったら単なるショートトークだ。

シニアな人達がそういう原理主義的に聞こえる主張をするから、怖く感じられ「5分できちんと発表を終わらせられないと怒られる」みたいに思われているかもしれない。それは決してそんなことはなくて、逆なのだ。

LTはそもそもは基本失敗するように設計された無理ゲーだったと言っても良いかも知れない。発表を5分で終わらせるのなんて普通にやってたら無理に決まっているから、面白がって取り組む、ゲームで言うところの縛りプレイだったのだ。完走した人には惜しみない賛辞が贈られるし、失敗してもチャレンジが称えられる。LTにはそういう無理ゲー実況・観戦のような面白さがある。

与えられた5分は自由に使って良い

LTは「失敗しちゃって良い」フォーマットなのだ。5分なのだからそこまで準備もちゃんとしなくて良い。スライド無しでやっても良いし、楽器を弾いたって良い。登壇者が緊張してしまっても5分経てば切ってもらえる。聴衆にとってnot for meな発表であっても5分だけ我慢すれば良い。

発表者は、発表が下手でも良いし、自己紹介が長くてもいいから、5分という「与えられた時間」を好きに使えばいい。5分経ったら話し終わってなくても速やかに退散する。そういうシンプルで、どんなレベルの人でも楽しめるゲーム性なのだ。誰も人前で恥かきたいとか変な発表したいとか思ってるわけじゃないのだから、聴衆もそれを信じて応援する。

LTはそのように誰もが失敗しうるのだから気軽に挑戦できるし、失敗を温かく許容するフォーマットなのだと私は思っている。

ゲームの攻略は進化する

トークが成功するか応援し、固唾を呑んで見守る。LT職人達が時間ギリギリを攻める様子にハラハラする。そういう観戦の面白さもLTにはある。

元々は無理ゲーチックだったLTも一部の人に早々に「攻略」された。ゲームらしい話である。5分以内に終わらせられるかどうかというゲーム性を超え、5分間に如何に詰め込むかというゲーム性を楽しむ、いわゆるLT職人達が現れた。「えーLTなのにライブコーディングまでやっちゃうのかい!?」みたいなやつだ。LT職人の発表は常人にはできない超絶プレーである。個性豊かな発表スタイルがあり、感動的ですらある。

余り定着はしていないが、時間制限を3分や1分にするような「超LT」が行われることもある。5分ではありませんが、これは「縛りをさらに強くする」といういかにもゲーム的な楽しみ方なので、これはLTと言って良いでしょう。ただやっぱり5分が定着しているのは、それが人々にとって分かりやすく絶妙な時間設定なのでしょう。

気軽なLTの敷居が上がってしまう問題

ただ、そういうLTが上手い人が増えた結果、「おいしい失敗」を目にする機会は相対的に減った。また、「自分もあれくらい上手くならないとLTに挑戦できない」としり込みしてしまう人もいることでしょう。

かくいう私もそうでした。2012年にYAPC::Asiaで初めて40分トークをしましたが、LTは何となく敷居が高く感じられて応募を見送りました。初めてLTに応募して発表したのは翌年の2013年でした。このときは中国語でLTをしました。これはウケ狙いもありましたが、紹介するソフトウェアRijiの名前が中国語ピンイン由来であること、YAPC::"Asia" を冠していたし、実際台湾から参加されているエンジニアの方もいたのだから、中国語トークがあってもよいだろうという思いもありました。これは拙い中国語ながらデモも含めてなんとか5分に収めることができました。今でも言及して下さる人もいて、思い出深いLTになっています。

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閑話休題。ただ「発表のハードルを下げてみんなで楽しむ」ためのモノだったはずのLTが、逆にハードルが高く感じられてしまうケースが生まれているのは少々悩ましい問題だとは思います。特に、大きなカンファレンスのLTだと、最後に参加者全員が集ってくるメイン会場でやることも多く、慣れない発表者にとってはプレッシャーも大きいかもれません。

とはいえ、LT職人が超絶技巧を発揮するLTばかりでは、逆におなかいっぱいになってしまうかもしれません。なので、素朴な発表があっても良いですし、失敗したって良いのです。市民マラソンに、ガチで記録に挑む人もいれば、完走目的の人もいるように、様々なスタイルがあった方が楽しいとも思います。

もちろん、トーク採択がある以上、一定レベル以上の内容がないと壇上に立てません。なので、採択された以上は、自信を持って自由にその5分間を使い、自分がやりたい発表をすれば良いのです。別にトーク技術は乏しくても構いません。

アンカンファレンスでのLTソンなどは、そういう発表のハードルを下げるLTの趣旨に合致し、発表できる人を増やす取り組みなので、素晴らしいと思います。

企業イベントでもLTは当然5分

5分より長いLTが設定されがちなのは主に企業主導の技術イベントの時でしょう。

コミュニティの雰囲気に明るくない企画や広報の方が「エンジニアイベントではLTというモノをやるらしい」という話を聞いて企画に盛り込む。そこで「5分の発表は余りにも短く、難易度が高くてハードルが高そうだから10分にしよう」とか思ってしまうのでしょう。それに、5分と言う、いかにもオーバーしそうなタイムボックスにすると、タイムキープも難しく、イベントの進行に支障をきたしてしまいそうで不安にもなるだろう。またゲストに話していただく座組だと、ゲストのトークを途中で打ち切るなんて失礼、みたいな意識が働いてしまうのも無理からぬ話だ。イベントの目玉であるゲストトークはちゃんと最後まで話しきってもらいたいでしょうし。

だから悪意無くLTの改変が行われる。ただそれはもうLTではないのだ。先に述べた通り、LTというのは制限時間が来たら強制終了されるゲームであって、それが結果的に、失敗を許容する、楽しむルール設計になっているということなのだ。失敗を許容して楽しむという点が「ちゃんとした企業イベントをやりたい」場合に相性が悪いとも言えるかも知れない。

悪意はないとは思うが、それはやっぱりCultural Appropriationだとは思う。アドベントカレンダーもLTもハッカソンも、元々コミュニティ主体でやっていたものを、企業主体で実施しようとするとどうしても趣が変わっちゃうという悩ましい話だとは思っている。文化が広まるのは良いことだし、変化にも良い点もあるとは思う。ただ、ハッカソンがコンテストだと思われがちになってしまったのも個人的には残念に思っている。

何事も、中途半端な理解で異文化のエッセンスを雰囲気でちりばめようとするのはリスキーだ。それは海外映画に出てくる日本像に違和感を感じてしまうケースに似ている。歩み寄ったつもりかもしれないが、逆効果になることもあるのだ。だから企業主催やる場合でも、短い時間のトークを扱う場合には以下の何れかにしてもらいたい。

  • LTとしてちゃんとやる
    • 5分で半強制的に終了することを発表者にも聴衆にも事前に周知する
    • コミュニティ的な楽しさに乗っかる
  • 10分トークとかにしてLTとは呼ばない
    • この場合は多少発表が延びることも許容でき、ゲストの話をちゃんと聴衆に届けられるメリットもある

楽しいLTの文化がずっと続きますように!

白状すると、私はLTで5分を超えて話し続けてしまったこともあるのでそれはここに懺悔します。どれくらい厳密にタイムオーバーを取り締まるかはイベントの雰囲気次第で良いと思いますが、ちゃんと5分で終える意識を全員が持っていることが前提になるでしょう。

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